合気道の裏の顔
どんなものにも表と裏というものが存在します。
そしてそれは合気道の歴史においても例外ではありません。
皆さんがご存じの合気道は
・女性やお子さんでもできる
・相手に怪我をさせない
・優しい武道
というような非常に柔和なイメージが多いことでしょう。
ただし、それは平和な時代になった今だからこそです。
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かつての戦前・戦時中の日本は時勢もあり武道が非常に盛んだったため、
合気道の創始者である植芝盛平先生は戦中にとある施設に合気道を教えていました。
(正式に合気道と名乗り始めたのは戦後なので、おそらく当時は大東流合気柔術や合気武術という名称としてであったと思いますが…)
その施設は陸軍中野学校、諜報や防諜、宣伝など秘密戦に関する教育や訓練を目的とした大日本帝国陸軍の軍学校(実施学校)で情報機関であった施設です。
一言で言えば旧日本陸軍のスパイ養成学校ということになります。
当然ながら軍人、特に諜報に携わるスパイは外国語、薬学などの幅広い知識以外にも殺傷技術が必要です。
そんな中、当時の植芝先生の合気道は柔道よりも殺傷能力が高いとされており、中野学校では合気道が必修科目とされていました。
合気道以外では合気道の元になった大東流合気柔術も旧日本陸軍で取り入れられていたという歴史があります。
つまりそれだけ日本の武術は殺傷性が高く、かつ海外に研究されにくい秘匿性があったため、当時海外と事を構える軍人には必要だったといえるでしょう。
こういった戦時中にも必要とされていたというのはある意味で合気道の裏の顔ともいえるでしょう。
今でこそ植芝先生の系統の合気道には大本教の思想が加えられたため、そういった争いごとについては否定的な武道となっていますが、そんな植芝先生もかつて日本を護った方々に協力をしていたという事実はあったわけです。
当然ながら現代においてそこまでの殺傷能力は特定の職業の方を除いてほぼ必要ありませんし、そこまで危険な技を習うこともありませんし、おそらく多くの道場は危険な技を出来るだけ省いた技術体系にしているため教えることもありません。
ただし、合気道をこれから学ぶ方に出来れば知っておいて欲しいのは、
いくら女性や子供でも出来る武術、相手に怪我をさせない、優しい武道とはいっても使い方によっては簡単に人を殺傷できてしまう可能性を持つ技術を学んでいるという事実は心の片隅にでも置いておいて欲しいなと感じています。
どんな状況でも「正しい使い方」で自分や周りの大切な方々を守れるようにありたいものですね。
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